7日
美喜子姉のはぐくみ来たる白百合が 聖日の朝清らにひらく
14日
被災せる人をおもいてイエス様の 救ひと恵み祈る日々なり
21日
娘とコーヒー飲むひとときも イエス様の恵みの深さ讃へ合ふなり
28日
笑み湛へ ”ありがとう またね”と手をふりて 母は天国へ旅立ちゆきぬ
7日
美喜子姉のはぐくみ来たる白百合が 聖日の朝清らにひらく
14日
被災せる人をおもいてイエス様の 救ひと恵み祈る日々なり
21日
娘とコーヒー飲むひとときも イエス様の恵みの深さ讃へ合ふなり
28日
笑み湛へ ”ありがとう またね”と手をふりて 母は天国へ旅立ちゆきぬ
短歌集 渡邊光子「白百合にほふ」より
(日付は日曜礼拝の日付)
2日
「信仰は頭ではなく心です」 ミセスのあかし胸にきざみぬ
9日
「恐れるな」と宣ふ方を恐れよと 田中先生説き給ひしよ
16日
孤独なりと嘆きてやまぬ老友よ 主イエスのもとへ来たれと祈る
23日
そびえたつ妙高見つつ聖書読む 「わたしは山に向かひて目をあぐ」
30日
イエス様を讃えて始まり イエス様に感謝捧げて終わる日々なり
わが家の小さな畑、フェンス際に二株の紫陽花が植えてある。
葉は元気だが、ひと株は全く花がないし、もうひと株は3つだけ。
どうしたんだろう。今ごろ見られるアジサイの花なのに。
きっと原因があるのだろう。
昨年、花が咲いた後の花切りのタイミングが違っていたからかな?
聖書には、〝すべてに時がある”と書いてある。
タイミングを外すととんでもない結果になる事もある。
信仰についてはどうだろうか。聖書はハッキリと語っている。
先延ばしにしてはいけない。それは ゛今” だと。
私が仕事で関わっているお花屋さんが、明日の礼拝のために、ご自分の教会にお花をかざってきました。
とメールと写真を送って下さいました。きれいな紫陽花が講壇の脇に飾られていました。
仕事ではなく、信仰者として捧げられているのです。神様は喜ばれますし、見る私たちも恵まれます。
私たちの教会でも、今日は家内が礼拝に捧げる花を準備する日です。
今日、畑のお友達が声を掛けて下さり、紫陽花が咲いているから教会に飾ったらどうかと言ってくださいました。何と感謝な事でしょうか。礼拝に生き生きとしたお花を捧げる。そこにお花があるべき、と思う心もまた美しいですね。
疲れを覚え、早めに寝たが、夜中目が覚め、気になっていた仕事のことでパソコンを開いた。
その後、再び床に入ったが寝付けず、とうとう朝になってしまった。疲れた!!こんなこともあるかな。